ネットがつかえない

”絶対アタマオカシイ”って、絶対思ってるから

普通、掌では全然足りない

何してもろくなこと出来ないくせに、自足したい性分なんです。

人生ずっと。

 

”自分でやりたい” とつい思ってしまうのは、”自分で出来る” と思うからとかそんなことではなく、”誰かのせい” みたいなことを考えがちになることが嫌なばっかりに、ということの方が余程正直な感じがしているんです。

 

つまり、あたし自身が思う ”自足する” ということは、”自分” で ”足る” という文字通りの意味における ”足る” ということをどう考えるかということで、”足るを知れ” なんてことにも及ばないただ単純に、”満足” の ”足” における ”満” とかそんなことまで言ってねえ、みたいなことで、多分実にカジュアルなことのように思っているんです。

 

映える、とかどうでもいい。

いや、どうでもよくない。

まったく、その意味わからん、が正直。

 

行列して、美味いモン、映えるモン食って満足。

 

 

そんな満足、絶対アタマオカシイ。

 

 

 

ちゃんと読書がしたい。

その世界に嫉妬したい。

 

楽器を弾きたい。

ヘタクソなのに、機材に萌える。

 

 

ちっともお金にならないことで ”足る” ことを ”趣味” というのか。

何だか古臭くないのか、そういう着眼は。

 

”読書をしたい” という欲求でこそ ”足る”

”音楽に触れる” という願望でこそ ”足る”

 

 

そんな面倒臭いような、”足る” ということ。

それを忘れちゃうような ”足りなさ” みたいなこと。

 

 

掌の中から広がるようなことばっかじゃ、全然足りないんですよ。

当たり前なんですけど。