ネットがつかえない

アラズヤ商店陳列作法

どうせ愛なら、臆面なく吐いたほうがもっと愛

 

 

突然ですが、

 

 

ルーシーが大好きです。

 

 

 

 

こっちもいいんだけど、

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こっち!

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この表情なんてほんとサイコー

 

 

 

そんな素敵なルーシーが登場するまでは、何しろラプンツェル

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が、まったく圧倒的サイコー ”愛し” キャラクターだったんですけど、

 

 

 

……って、画像漁ってたらやっぱり、ラプンツェルの目、サイコー、って。参った。

 

 

 

 

 

おっさんが何をトチ狂ったことヌカしておるか、と。

 

 

 

あたしはムスメの歳の数マイナス1年間ずっと ”独り者” で、再婚とか恋人とか、全然考えることもなくこの十数年を暮らしてきたものなんですし、

 

”もしかして、ソッチなの?!”

 

なんてことさえ冗談なのかマジなのか、人様に慮られながらもその実、”ラプンツェル最高!” なんてまったく ”女の子大好き” をもりもりと自覚しながら普通に健全に生きてきたつもりでいるわけなのです。

 

いえ、”生きてる” んです。

 

 

ルーシーの尋常ならざる丸出しのような女っぽさ。と、その対極的繊細。

 

ラプンツェルの身もフタもないような愛らしさ。と、その対極的困惑。

 

 

 

 

そんなお二人に共通して言えるのは(個人的には、ってこと)、

 

”おハナシなんて、ハッキリ言ってどうでもいい”

 

って、まるきり台無しみたいでいて実はサイコーでしかない、

 

”その人ハリケーン とでも言うべき圧倒的威力。

 

もう、ほんと好きすぎちゃう自分が自分でキモイ(泣

 

 

 

ラプンツェルって、ただ男の趣味悪いだけじゃね? そういうおハナシじゃね?” って、誰かが言ってました。

あイタタタタタタ……

 

 

って、ちょっとまって。

 

 

だって、これって ”ディズニー”

つまり、努めて概ね ”教訓じみていてナンボ” の世界。(超個人的には、ってこと)

 

勧善懲悪も、答えありきのミスリードも、全ては ”教訓の素” (同上)

とってもよく出来てんのさ、鉄板らしくあるべきらしく。

多分、なんだけどここは一つ、そう断言してしまう。(個人的ディズニー愛)

 

 

 

 

 

……って、そうじゃないんですよ。

そういうことじゃないんですよ、あたしが言いたいのは。

 

 

 

ルーシーの表情には、”その人” がある。

ラプンツェルもまた然り。

 

つまり、

 

 

あたしの ”ディズニー” に、ストーリーなんていらん。

(あってもまったくいいんだけど、なくても平気。ってこと。まあまあ馬鹿)

 

 

”怪盗グルー” は好きだけど、ストーリー、ほとんど覚えてないんです。

でも、所詮大好き。

 

塔の上のラプンツェル は、コテコテガチガチの典型的ディズニーストーリー。

だからって、マキシマスをくだらないと嗤うなら、それは卑屈ってもの。

 

 

 

ディズニー、それもピクサーこそがあたしは大好きなんですけど、ピクサーが作るあの ”人間らしさ” あのキャラクターの豊かさって一体何なんだろう。

 

 

ルーシーのあの繊細な表情の動きとキャラクターは、それだけで突き抜けて小説的。

 

ラプンツェルのあの奔放な表情の動きとキャラクターは、それだけで少女漫画的憂鬱。

 

 

 

なるほど。おハナシなんて、いらんワケだ。

 

 

 

あと何年かしたら、ジブリのテーマパークが出来るらしいです。

 

悪くない。(たぶん、行かないけども)

 

 

でも、筆舌に尽くしがたい、 そんな ”キャラクター” といったなら……

 

 

 

 

 

ラピュタ” とか ”紅のブタ” 

大好きです。

 

ストーリーも、台詞も、切り取って思い出したくなる場面がたくさんあります。

 

 

 

でも、ルーシーやラプンツェルはその ”存在そのもの” だけで勝手にふくらんでしまうような ”何か” を思いつかせてしまう ”圧倒的な何か” があるような気が、どうしてもしてしまうんですよ。

 

 

 

日本がアメリカに敵わなかったのは、戦後ばかりのおハナシなんだろか。

むしろ、アメリカがまったく適わない日本はもうたくさん、あらゆる分野に存在しているはずなんですけど(なんてったって、日本の ”カワイイ” に敵う文化ばかりは世界のどこを探しても絶対にありえないと個人的には思ってんです)、こと ”豊かさ” っていう語彙をまったく広義に捉えたなら、あたしはルーシーやラプンツェルのその ”愛らしさ” ばかりをもって、まったく ”降参” を思いつくしかないような気にさせられてしまうのです。

 

 

あたしは何だかんだ言っても、”日本人に生まれてよかった” ってことだけは、産まれてこのかたずっと思ってます。

 

だからこそ、ってことなんですけど。

 

ルーシーやラプンツェルに圧倒的に ”ヤラレてしまう何か” は日本人の、ひいてはあたし個人ばっかにおいても、大いに ”余地の残された事実” の証明なのであって、とても期待の持てることであるなあ、憧れる余地が有り余るほどのステキさであることだなあ、と、まったく臆面もなく思わされて仕方のない豊満な喜びでしかないのでした。

 

 

ルーシー、

あんたってまったくキュートなんですよまったく。

 

あ、もちろんラプンツェルもな。

 

 

 

……って、いつまでもそんなことばっか言ってたい。

馬鹿って、例えばそんなことばっかってことならむしろちっとも悪くないよな、ってつまり、なんのハナシなの? っていうおハナシなのでした。

 

 

 

アホか、と。

 

 

 

 

連休だから、アホで結構ですとも。

 

 

ヒマな人は観なさい。

サイコーだから。

 

 

 

※追記

ラプンツェルもグルーもピクサーじゃないじゃんかー(恥