ネットがつかえない

アラズヤ商店陳列作法

”違和感” くらい信じてやれ

田舎っていうのは、閉鎖的だし考え古いし遅いし暗いし鈍いし何しろ先入観ハンパないです。

 

 

って、コレ、あたしの田舎に対する先入観。

っていうかあたしが暮らしてるとここそ、っていうハナシなんですけれども。

 

 

自分の ”普通” っていう思い込みばっかに忠実で、それ以外のモノはディスりたくて仕方ないくせに、どうしてサプリメントでカンタンに痩せられるとか、トリートメントで髪生き返るとか、そういうアホみたいなことばっかは盲目的に信じたがるんだろか。

期待したがるんだろか。

 

 

世の中は、近頃の世の中は少しずつなんだけど、先っぽの方から、つまり敏感な人たちばっかから、段々と変わってきているはずなんですよ。

あたしみたいな田舎ものですらそれをほぼ肌感覚のように感じずにはいられないんですから、それはもう ”事実” と言っても過言ではないはずなんですよ。

 

 

なんでこんなに早く生まれちまったんだろ。

今の、こんなにも面白い時代を、"若者" として生きたかった。

 

そんな嫉妬と羨望をてらいもなく白状しながら、今更みたいな現実さえ通用させたい。

 

 

田舎に暮らしても、気持ちは染まらない、そんな手に負えない見栄を頑として睨んで生きたい。

故郷を見直せるほどにも整わない未熟さを、恥じらいもなく振舞いたい。

 

 

もういい歳なのに、全然オトナになれないっていう事実。

全然そんなつもりもないほどの事実。

 

 

自分のことがただただ恨めしいから、戸惑うことはもはや足踏みどころか後退に等しく、その手の退屈はもう散々過ごしてきた、そんな記憶ばかりは確かだから、この先はもうまったく不確実な未熟を散々に過ごさなければ、単純にバランスが取れそうな気がしないんですよ。

 

 

でたらめらしい気配がすごいです。

それは、自分のことなんですけども。

 

だからこそそのままで行こう、というのが例えばあたしみたいのの嫉妬とか羨望に対する挑み方だと思うんですよ。

 

そういう ”退屈の脱ぎ方” みたいなことをちゃんと挑むべきだったのに、どうやらタイミングは今更みたいな今らしく、とっくにわかり始めているはずの自分ですら苦しいのだけれど、”どうせ” に向かうにしろ、やらないよりやったほうがマシ、くらいのことは知っているつもりなので、そうしようと。

 

 

でたらめらしい気配に怯んだら本当になるだけなので、このままさらに進もうと、あっけらかんと思うしかないわけなんです。