ネットがつかえない

アラズヤ商店陳列作法

その感じ

 

あたしが物心ついた頃、ウチのテレビはモノクロテレビでした。

確か赤っぽいオレンジ色だった、ガチャガチャとダイヤルを回す式のチャンネルと、よくわからない電波を調整する式のダイヤルが付いていたタイプで、さすがにアタマにアンテナとかは載ってなかった記憶でいます。

じきにカラーのテレビになって、でもたまに映りが悪くなることくらいは日常で、映らないときは "叩くと直る" というやつを時代性も含めてリアルでやってました。

 

そういう世代であることはもはや、"死ねばいいのに" っていうほとんどストレスみたいな後悔っていうそれです。

嘘です母さん泣かないで。

その次に我が家にやってきた少し大きめの "家具調テレビ" は、サザエさんちの茶の間にあるものと同じやつで、ただそれだけを理由に何だか悪くない気にさせられたものでした。

初リモコンでした。

 

 

家に帰ると、出迎えてくれたネコのコマのアタマをとりあえず撫でた次のタイミングくらいでテレビを点けます。

一先ず、とは言えないタイミングです。

が、その程度の世代である、ということです。

 

ウチのムスメは今年19なので、世代的にはすでに "最新式" とは言い難いバージョンではありますが、その程度とはいえまあまあ感じ悪い年頃ではある印象ではいるので、わりと新しめでもあるはずとは親なりにも思わないでもないつもりではいるのです。

 

そんなウチのムスメ、テレビをほぼ観ません。

点けっぱなしで居眠りはしても、ほぼ観ません。

BGM? アホか。です。

 

 

通勤の車の中で、テレビ観てるといつか確実に事故ると思うんです。

しかもかなりマヌケ度高めな感じで。

ですから、画面をナビに切り替えてもしぶとく流れてくる音声のみに耳を傾けてみたりするんですけど、まあ、確かに。

 

 

 

テレビ、つまんねえな。

 

 

 

と。

近頃ものすごく驚くのは、テレビから流れてくる音とか映像とか、つまりテレビっていうメディアからもたらされる情報? らしきそのほとんどが、"知ってるそれ" 感がハンパないっていうその感覚ばかりの濃さ、みたいなことで。

 

モノクロテレビ世代のこんなおっさんの情報収集能力程度をもってして、でもですよ。

ムスメなんか、きっともう悲惨なほどの興味のなさなんだろな、と。

テレビっていうこの "もはや後発メディア" 感、どうなんですか。

 

 

西日本が、大変なことになってます。

いつか見たあの全国民の傷のような景色と、ほとんど変わらないじゃないですか。

テレビは毎朝毎晩、そればっかです。

そればっかだっていいじゃないですか。

いいんだけど、いいんですけど、何なんだろか、あの "どこかズレてる感"

 

話題のヒト殺しの人となりとその半生を掘り返すあの感じと、土砂流の発生システムをこれ見よがしに説明すること、どっちも "ニュース" とか "報道" とか。

"ニュース" ですよ "ニュース"

早速ゲシュタルト崩壊で何だかむしろ新しい言葉にすら見えてきた。

 

胸下映して被害者家族に、インタビュー。

仕事ってきびしい。

きびしいだけなら、楽なことだ。

言ってる先から意味がわからないから、所詮そんなものの意味なんてわからない。

 

ただ純粋に、観るほど嫌いになるテレビ、画期的だ。

スマホにはない機能だ。先進。

 

騙されたらダメだ、って脊髄反射で思わずにいられないあたしはほとんど狂ってるんですかね、追随出来ていないんですかね。

 

"人材" を謳って所詮搾取するばかりのシステムが東京の一等地に自社ビルを構えて、風変わりで "新しい" らしいオフィスだの何だのをこしらえて、"今どき" とか。

それを真に受けたがる視聴者こそがまんまと思い付きたがるらしい "今どき感" だとか。

 

車内にバースペースがあって、定時以降は社員さん向けコミュニケーションという福利厚生飲み放題。

 

バランスボールチェアで仕事してる姿なんて、ムスメに見られたくないなあなんて発想は、チャンネルガチャガチャ世代特有の自意識過剰ですか。

 

車内のバー飲み放がジュリアナお立ち台的素っ頓狂遺産に化けかねない、なんて例えからそもそもガチャガチャな感じですか。

 

小さな窓にまみれたマッチ箱みたいな家がキライです。

ガラス張りの天空を目指すなら、南向きガラリ戸の縁側でお茶を飲みたい。藤棚があれば尚最高とか。

 

 

みんな気付き始めているというのに、何だかなあ。テレビ。

 

 

サッカーと、大雨と、麻原某。

あと何だっけ。

 

天気予報。

 

結果で十分。

知るほど濁ることばかり。

 

 

 

自分は一体何が知りたかったんだっけ。

そう思って、テレビに何らかの期待を委ねたい人が、今どきどれほどいるものか。

 

 

だからネットとか、事態はいよいよ深刻だ。

そう思いませんか?

そんなアンテナで眺めるネットはいよいよ体のいい催眠術然として、"テレビつまらん" って鼻高いばかりの依存を深めるばかり、 "ダメ、絶対" を逆さまに眺めるばかり。

 

 

"テレビ、つまらん"

 

 

つまりそれって、自分自身のことなんじゃないのか。

ネットで確かめてみようか。

所詮信じられたものかよそんなもん。

 

 

情報化社会ってなんだ。

なんて古臭い言葉だ。

 

自由みたいな顔を格安スマホでお手軽に、閉じこもるだけの便利が憧れるのは "後発メディアのエサ" 程度のものだなんて、てんでお手軽なことだ。

舐められたものだ。

 

 

テレビと、テレビを諦めること。

まだ開かれてマシであるモノは、どっちなんだろか。

 

 

 

眺めているのは自分だ、ということ。