ネットがつかえない

アラズヤ商店陳列作法

上っ面は選別の手段です。その先に用があるんですからこちとら。

 

欲求ばかりがご立派で、そもそもアイデアも想像力も行動力もないあたしのことですから、それこそ日がな一日考え続けていた今日みたいな日とかって、むしろ自分の首絞めてるような自虐感こそものすごいんですよ。

 

 

本日の思考のピーク

”何でも屋でもはじめっか。でもキツいのキタナイのコワいのアブナイのダメだから、やっぱ話し相手とか愚痴聞きとか食事相手とか、タイムチケット的な感じでやるとかどう?”

 

 

もう、庶民としてほとんど思考崩壊ですよね。

発想がナマケモノ

魂胆が腐ってる。

”ナニモノかよっ” って前提がすっぽ抜けてる。

 

 

 

 

って、まあ冗談はそのくらいに(半分まじ)しておいて、でも、人間って不思議ですよね、真剣なつもりでいても一つのことジッと考え続けてると、ほぼ本来の目的とか意欲のようなものから確実に逸れていく。

 

何なら、”ラクそうなこと” とかに思考が傾き始める。

 

 

”やりたいこと” なんてカンタンに忘れてしまう。

 

 

 

”自分はこの先何をしたいのか、そのために何が必要なのか”

いい歳こいて、いまだに一日中そんなことばかり考えてました。

考えてばかりいた結果、何を思ったのか。

 

 

 

”ヘアーサロン、やめよう”

 

 

 

出た、日本語不自由。(ふじゆう、って打ったつもりが富士通ってキレイに変換されてビビった)

 

 

 

あたしはずっと一人で、15坪弱の世界を腐らせてきたんです。

椅子が一台あれば、あとシャンプー台があれば仕事になる、その為に15坪も必要なかった、ってそんなことをずっと考えていたら、”ヘアーサロン” っていうテーマが、看板こそが邪魔なんだなって、あたしというたった一人で吐くイノベーションが面倒臭そうに閃いたんですね。

ささやいたんです。

”邪魔くさくね? それ” ってさ。

 

 

 

あたしはとてもわがままなことばかりしてるんです。

飛び込みのお客さんはヒマでも断る。

当日予約も、ヒマでも断る(注・お世話様による)

予約ないならお店こそやらない。

定休日いつですか? とか訊かれるとムカつく。

週末の20時予約とか、所詮面倒とは思う。

平日の19時が希望でも21時は拒否されると、田舎だなあって呆れる。

”ずっと来ようと思ってたんだけど忙しくて” って言うのわかるんだけど、所詮期待値下がる。

”適当でいいです” って言われる(メンがち)の、ぜんぜん気遣いだなんて思えない、っていうか、むしろディスられてるとしか思えない。

高くて面倒な材料のことちょっと説明しただけで ”へえ” な感じで反射みたいな蔑視撒かれると、無駄なことしてんのかな自分、って所詮つまらん気になる。

”そこらじゅうにお店あるよね” ってよく言われるけど、何が言いたいのかわからない。

入り口の自動ドアに激突(開くの遅いんです)されると、所詮イラっとくる。

セット椅子の足掛けに体重掛けて立ち上がってずっこちゃう人、観察力なさすぎみたいでしょんない気分になる。

わかったふうな顔されるのツラい。

ってまあ、とにかくわがままだし、性格ワルイんです。

 

 

 

所詮、イライラしてばっかなんですよ、多分。

 

なんでイライラしてばっかなのか、っていうと、

”所詮、伝わらないから”

って、その一点に尽きることこそ、所詮わかってんです。

 

 

 

”認知される” ということは多分、その人にとって有利に働くことのはずなんです。

知ってもらわなければ出掛けてもらえないし、

認めてもらえなければ、通ってもらえない。

言葉っていうのには、ほんと、意味があるのだなあ、って。

前後関係が前後する感じ(日本語ヘン?)、英語と似てんなあ、って(どうでもいい)

 

ただ、”それ” として認知されるということは、認知するその人の価値観とか常識とか、あるいは ”先入観” のようなものに照らされることでもあると思うんですよ。

それは個人ばかりではなく、”だって、そういうものでしょ?” っていう一般論こそ含めてってことなんですけど。

 

 

週のウチ六日は大体やってる。

月曜か火曜が定休日。

朝十時から夕方六時くらいまでやってる。

基本おしゃれ。

話しかけてくる。

提案してくる。

売りつけてくる。

雑誌たくさん。

チャラい。

カルい。

気楽そう。

 

文句言いながら、書き出してみると案外貧困で、そんなに気にしてもいないのかな、なんて気がしないでもないんだけど、

 

(上記対応でー)

やってないです。(もっとフレキシブルにやりたい気満々)

定休日、とか勝手に決めんな古臭い。(LINEとか何の為にあるの?)

もっとやってるし、やりたくないときはやってないし。(同上)

おしゃれ、なんて痩せた言葉をいつまで価値みたいに言ってんだろ遅ぇなあ。

話したくない時でも、ちゃんと話せるんですか、あなたは。

お客さんの要望は聞くべきだけど、願望は大概ズレてるしケチ寄りだし面倒くさがり。

ヘンなことばっか信じてるからです。鵜呑みにしてばっかだから、本当のこと言ってるだけなのでスレた理解は引っ込めて下さい(自戒)

結局ゴミになるから大変。重いし。タブレットあるのに、だれも触れやしない。

印象ばっかのハナシなら、芯食ってない方が多い気が。

印象は好意より嫌悪と余程リンクしやすいなんてそんな世の中じゃ(ぽいずん)

気楽? そんなに辛いんですか? やめちゃえば?

 

 

って。

クチ悪いです。

根性こそ腐ってます。

 

 

それはあたしんちっていう罪で、性格で、限定的な欠落で、まったく批判されるべき性質の悪さ至らなさなんですか?

 

 

 

ナニモノかよ、と。

 

 

 

ほぼ人間できてないことを、包み隠したいようなタチではないんですけど、見せびらかすモンでもないことこそ、少しくらい心得たらいいのに。

とは思いますこれでも。

でも残念だ。

生き易く生きたいなんて、こちとら考えたこともねえです(ノブ風しかもまあまあウソ)

 

苦しみたいタチでこそないですけど、”易く” に寄りかかりたいタチでもないつもりなんですこれでも。

っていうか、その逆だからこそ思いつくしかないことってやっぱりあって、所詮そういうことが満更でもないっていうタチ、というタチ。

 

 

 

そんなサイテーサイアクな性分をちゃんと包み隠して覆い隠して余りある、そういう必要を、わきまえを、ちゃんと自ら思いついて然るべく実行できる、したくなる、そういう仕事を、相手を、思いついて呼んで振舞って心地良く、繋がっていかねば。

 

 

 

サイテーなんですけど、そのサイテーさこそが理由になるくらいの立ち位置で生きたい、とは散々思っているんです。

間違っている、と思われても全然惜しくない。

そういう覚悟とか意思のようなものを貫いても、必ずそれ向けの居場所は作れる。

すでにそういう時代は始まっていると思っているんです。

 

 

だから、

”ヘアーサロン” なんて看板はいらない。

っていうか、むしろ邪魔になるな、絶対。

 

 

っていう結論。

多分それが、そんな日の思考のピークです。本当の。

 

 

正解とか誤解とか関係ない、あたしばっかの多分 ”正論” だと思ってます。

他所んちでなんかちっとも通用しなくていいんだし、そんな必要こそない、そういう ”正論”

 

それを否定したいなら、そんなおまえにこそくれてやろう ”ナントカペッパー”

 

なんて。

 

 

 

 

臆病の根源は、"鈍さ”

 

 

そう考えるタチです。

とんがってるんじゃなくて、それはあたしなりの ”違和” ということです。

勘違いするの、やめてください。

 

 

 

”違和” を堂々と吐いて許される、許容される世の中だ。

すでに。

 

 

 

絶対に、吐いてやるんです。