ネットがつかえない

アラズヤ商店陳列作法

アオったらダメです。人間すぎるんですよそんなのは。

 

 

性善説” とか 性悪説 なんてことは普通に毎日を生きていたら、あんまりかんがえることではないはずなんですよ。

 

 

”生まれながらに善、成長と共に悪さえも知る”

 

”生まれながらに悪、成長と共に善さえも知る”

 

 

卵が先か、鶏が先か。みたいですな。

 

個人的にはどっちでもいいんですけど、結局のところ日常のハナシとは少し違う気がしてしまうんですし、何なら、

 ”喉元にナイフでも突きつけられなければ、そんなモンわからん” 

くらいのことも、思わないでもないんです。

 

っていうか、むしろそっちの方が普通なんじゃないのかと。

 

 

 

今日、朝っぱらから、っていうか正確には昨夜から、ってことなんですけど、めちゃくちゃ不機嫌になることがありましてー。

 

あたしは日頃から、”リアル” と ”非リアル” を半々に過ごしてるようなとこありまして、なんだろ? ”反側面を行き来” とか、どっちが本当で嘘なのか、そんなもん ”喉元に……” みたいなとこに半ばため息もらしてしかも、”自分こそなー” なんて自分のことこそたしなめながら言葉選んで馬鹿だったり感じ悪かったり、たまに反省してみたりとか、そんなことばっか繰り返してる感じでいます。

 

”リアル” は目の前にある様々な ”実態” あるいは ”実体” についてのことだから、嘘だろうが本当だろうが、一先ずは ”品行方正”

 

”非リアル” はつまりヒトの皮一剥き二剥きみたいな世界、つまりネットとかそういう場所っていうのは、”ファミレスとかでついつい漏れ出しちゃう横柄な本性” が公然と認識される”粗野”

 

品行方正を笠に着たあたりまえみたいな粗野か、

 

粗野の隙間にちりばめられる品行方正か、

 

 

どっちもどっち、面倒臭いことに変わりはないのだし、やっぱり結局のところ ”喉元” みたいなことに目を瞑っただけの、”誤解” でしかないような気がするんですよ。

 

 

通勤のときとか、あたしは結構のんびりクルマを走らせるタチなもの(去年鹿に激突されて以来それはなおさら)ですから、結構、それもしょっちゅうアオられたりするんですよ。

そんな場面にさらされるたびに思うのが、

 

”おまえ、ごっついようなレクサスとかが相手でも同じことするんだろな?”

 

ってことで。

つまり、”喉元理論” ってことです。

 

 

究極のところつまり、

”誰にも同じく差し出せないモノなら、大人しく引っ込めとけ” 

ってことですよね。

 

 

めんどうくさいです。

 

今日のあたしはですね、”非リア” にてごちゃごちゃやりあわなければならないアホらしさに突き進まなければならないらしいんですよ。

 

”アオられがち” な体質なもので(恥

 

 

 

”リアル” でも ”非リアル” でもオラオラなヒトは常に生息していて、マジで面倒臭いです。

それをダシにしてあたしも所詮言いたいこと言ってしまうらしいんですから、”性善説” も ”性悪説” もつまり、

 

”おまえが言うな”

 

ってことなんですけれども。

 

 

 

はざ間に生きます。

 

案外それが正体に一番近いのかもなー、なんて思いながら過ごすことも学びのひとつかと、今日も進みます。

 

いずれにしても ”成長と共に” あるらしいので、おっさんでも未だに成長しなければならない今日、なのです。

 

 

 

行ってまいりましょう。