ネットがつかえない

アラズヤ商店陳列作法

SNSっていう割合について

 

平日の朝はやることやったらメールチェックならぬ ”ツイッターロムってる” だけで一時間くらいぬるっと過ぎてしまう(恥ずかしすぎるばっかのフォロー、フォロワー数なのに)ことくらいカンタンです。

 

何という24分の1の過ごし方。

 

 

ナマケモノ

いえいえとんでもないですよ、世の中にはたくさんの情報が溢れまくっていて、それはもうむしろこの世のものとは到底思えないほどの知性であったり感性であったりバイタリティであったりとか、まあ、一先ずは残酷なほどの威力ばっかに満ち満ちてますよねー。(フォローの目的や傾向にもよりましょうがー)

 

 

こういうの見てると、あたしなんかもういい歳なのに、いい歳なのにも関わらず脅迫されてる感ハンパないっていうか、平たく言えば ”こんな時代に何やってたんだ自分(過去形なとこミソ)なんて気分にまったく容易く突き落とされてしまうんですよ、まったくもう何て恐ろしい時代なんだろかー。

 

 

どこにもどんな世界にも ”やる” 側と ”やられる” 側って必ずあると思うんですけど、”フォロー” と ”フォロワー” っていうのも平たく言ったらそんなようなものと個人的には思うわけです。

 

”やる” 側の威力ときたら圧倒的。

”やられる” 側の数の多さときたら普遍的(あたしもこっちわかってますってば)

 

扇動する側は、末広がりのお尻でっかち。

魅せられる側は、頭熱足寒的アタマでっかち(殺される)。

 

画面の構成はそんなヒエラルキーを如実に表してさえいるのかもで、発信されるメッセージは刺激的だけど、受け止める側ばっかの熱はほぼ平熱寄りっていうのはありがちだし案外うっとうしかったりさえするから ”サロン系” とか ”ベンチャー中の人系” のアカウントについつい惹かれがちなあたしとしましてはなおさら、眺めながらにしてアツい鼓舞に踊らされながら、ジメジメと忌み嫌うような阻害感を思いつく、つまり何とも委小で偏屈な所詮ケチ臭いばっかの精神状態に落とし込まれること必定なわけです。

やれやれ、です。

しかも朝っぱらから。

朝っぱらから卑怯者。

 

素直にその気になれたなら、どれほど道は近付くんだろか? なんて卑怯者ですらそんなこと。

わかってんです、わかってんですよ?

わかってんですけど、アレです、まあ所詮アレなんです。

 

 

ロムってるだけで、精一杯なんです(ぽんこつ)。

 

 

ロムってるだけで、しんどいんです(本音過ぎてキチー)。

 

 

 

 

 

でも、やめないんだなあ。

身になることはある、ってどっかでそんな気でいるんだなー。

やめたら負け、とか思ってんだなあ。

 

 

卑怯だなあー。