suffcuts の独人生相談

東御市R18 既存の価値観と勝手に闘ってるつもりのとんでもヘアサロン   サフカッツ のブログへようこそ

べき論しね

 

 

 

ここ半年くらいの間、ウチのムスメとはまあ、よくケンカしてます。

 

”ケンカ” といっても所詮それはかなり一方通行に似た性質のモノで、それはつまり ”敵こそ天晴” というわけでもないんですしムスメは敵でも何でもないんですけどつまりつまり、あたしが一方的に言いたい放題みたいな情勢がほぼほぼなワケで。

 

どっちが ”オトナ” なんだよ。と。

 

そういう ”超不公平” みたいな ”ケンカ” をまあ、しょっちゅうしてます。

 

 

マンガやアニメが大好きなウチのムスメはつまり、近頃らしく眺めたなら ”JK10人いたら6人は同質” みたいなほとんどありきたりに近い興味とか感性の持ち主らしく、先日も地上波初放送! なる例のヤツとか全く興味深そうに見入っていたわけなんですしあたしは偏見のカタマリみたいな人間ですから自分の部屋へ退避ですし、そのすれ違い様ったらまあちべたいことちべたいこと。

 

そんな我が家におけるムスメの ”進路モンダイ” はつまり、かなりイビツな様相を呈しているわけでありまして。

 

 

そもそもその ”超不公平なケンカ” 的様相が日常化するに至る発端となったのが ”アニメが好き からの アニメ系専門学校行きたい願望展望の発露” っていうものすごくありがちな ”希望と偏見の衝突” っていうことなんですけどもそこはそこ、あたしは思いやりの欠片もなく看破して論破して木っ端微塵に撃破してしまったわけなんですよ、一度は専門学校のオープンキャンパスくらいは行かせても見たところにおいて、ですよ?

 

 

世の中には ”べき論” とか ”ねば論” みたいなものが、ものすごく ”常識” とか ”理解” みたいなものをまったくもっともらしく笠に着た実に物分りが良さそうでいて実はとんでもなく無責任な、っていうのはあたし個人の一方的偏見なのかもしれないんですけど、ようするにそういった何だか無条件的無思考とかあたしみたいのに言わせたらそんな苛立ちばっかしか思いつきようもないよく言えば ”大らか” な、平たく言えば ”情報に毒されてるだけのマヌケ馬鹿” みたいな人々が安易に着陸を目論みたがるような鈍感な有り様がさも図々しく蔓延して憚らない、そんな気がして仕方がないんですよ、っていうのはあたしみたいののただの ”負け犬の遠吠え” と呼びたければ勝手に呼んだらいいさ気が済むまでせせら笑ったら嗤ったらいいのさこちとらこんな感じの人生ったら筋金入りだっつうのなめんな。

 

 

嘘です。

 

 

 

”べき論” とか ”ねば論” って、苦手なんですよ。

 

”そうするべき” ”ああするべき”

 

”こうせねば” ”ああせねば”

 

そういうものすごくオトナっぽい感じに見えがちな覚悟やら義務感やら、思い遣りっぽそうな感じとか、ものすっごい苦手なんですよ。

 

 

そんな格好のつけ方を自らに仕込みたがるより何より先に、あたしは毎日朝5時半には目を覚ましてキッチンに立って、朝ごはん作ってお弁当作って、ムスメの晩ごはんのおかずを作ってから会社に行ってお店の営業もこなして帰ってご飯食べてお風呂入って寝るだけ、っていうそれだけの暮らしを去年だって多分10日と休まず動きまくってたんですよ。

 

そんな暮らしを掴まえて ”ツライ” なんて言ってしまったならあたしはもちろん ”べき論” だか ”ねば論” だかを振りかざす世間の良識だか常識やらの軍門に大人しく下ろうへりくだろうってものなんですけどいかんせんアレです、そんな暮らしこそがあたしには ”べき論” やら ”ねば論” でこそあるはずなので、”ツライ” なんて思うはずがないんですよこれが。

 

ざまみろ。

 

子どもが望むことを、腹立たしかろうが苛立たしかろうが無念だろうが、所詮丸ごと飲み込んで叶えてあげる頷いてあげるのが、オトナとしての、親としての例えば ”理解” なんですか? ”義務” なんですか?

 

”アニメが好きなんだから仕方ないだろう” って、ボケッと専門学校に送り出してあげるお金出してあげる。

例えば、ある種の論調としてってハナシなんですけど、アニメーターって職業もこの先の有り様次第では中国への出稼ぎ稼業になりかねない、なんてそんな見通しもまあまあでたらめでもなさそうだ、なんて見通しがないでもないこと、”理解ある” 親御さんたちは聞きかじったことくらいあるんでしょうかね。

あたしのまわりにいる若めの子らでそっち方面行った子ら、まともにそっちに向かえた子、たったの一人もいないです。

みぃーんな、一年やそこらで諦めて専門学校やめてコンビニとかアパレルとかでフリーターやってます。

近頃は就職事情とか悪くないらしいことよく耳にしますけど、わりと夢見がちなこと思いついた歴抱えちゃうと、現実的なことって魅力的には眺められないらしく何となくもんもんとして過ごしてるような子がすごく多いです。

 

まあ、人生ったらまだ長いし。

若いんだから、大丈夫だし。って、あたしなんかは自分のズタボロの人生こそ引き合いに出してさんざん ”楽しいこと思いついとけ若いんだから” って遠慮なしでズタズタに棘だらけみたいな励ましばら撒いて無口にさせてばっかなんですけど、でも、そこに至るまでに思いついたのはやっぱその人本人なんだし、認めたのは親御さん共々なんだし、そうしての現在なんだろうし、だからやっぱこの先を思いつくことさえその人本人なんだし、っていうのはもう本当にごく当たり前のことなんだし。

 

つまり単純に、あたし個人としてはそういうのとは考え方ちがうんですよ、みたいなことをムスメとはもう何度も何度も言い合っていがみあってぶち当たりまくってんです。

 

その結果、この先うちのムスメがどうなったものか、なんてことはあたしはもちろんムスメ本人にさえわかるはずもないのだけれど、あたしは勝手に思うんです。

 

”そこに至るまでに、やるべきことはとことんやり合ってきたつもりだからな”

 

 

間違ってんだろか。

正直には、”そんなもん知るか” って思ってんです。

 

そうしなければ、憎まれようが、恨まれようが、感謝されようが、心当たりさえ思いつけそうにない、っていう脅迫めいた焦燥とかそんな感じ。

 

 

近頃ウチのムスメはようやく、本当にようやく真面目に、自分のこの先のことをわりと興味深く考え始めてるっぽいんですよ。

多分、なんですけど。

 

”ええっ? 今頃なんて、もう進路決まってないとヤバくないっ?”

 

的なこと、しょっちゅう言われます。

知るか、と。

 

そういう ”べき論” 的な考え方にはこちとら興味が持てないのだし、意味こそ思いつけそうにないのだし、今現在にこうした状況にあることこそ重要とさえ思わずにはいられないタチですから、ようやく準備OK、とか、そういうムスメばっかのムスメらしさに、あたしこそようやくあたしなりの ”理解” のようなものを思いつくべきと、思い遣って然るべきと覚悟できるのだし協力的にもなれるのだし、遅いけれどまあまあ納得いかないではない、ぼんやりと、なんかでは全くない ”進路モンダイ” に向き合えるわけでつまり、”べき論? 何だそれアホか” ってちゃんと叫べる。信じられる。

 

全体主義としての ”べき論”が、お父さんはきらいだ。

ってあたしは宣言して、ムスメはただ頷いてました。

 

ムスメはようやく自分のこの先を考え始めたらしいです。

そんな有り様に急かされるまでもなく、あたしはあたしでこの先のことはやっぱ、考えるんですよ。

負けないように、とからしくないこと思いついたりとかまったくこっ恥ずかしいんですよまったく。

 

所詮あたしばっかの ”べき論” ふりかざして、ってことなんですけど。