夜更けのサロン  現地時間拘束下  

東御市R18夜更けのサロン ”現地時間拘束下” ひっそりと馬鹿だからイメージばっかとか死ねって寝る間も惜しみますってば

髪のことはただのきっかけ

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夜更けのサロン ”現地時間拘束下” は開店時刻不定です

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夕方 ~ 最終受付21時(田舎では夜更け)までだからお仕事帰りでも余裕です

土曜、日曜は朝10時より営業してます

”ツルツルサラサラ” とかアホみたいな商売はやってません

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例えばあたしは読書が好きなんですけど、ってかなり偏った読書傾向ではあるんですけど。

 

女流作家さんが好きです、っていうか男の作家さんはほぼ読みません。

強いて言うなら、松尾スズキさんとか町田康さんくらい。あ、あと長嶋有さんも。

範疇どっぱずれますけど、坂口安吾の白痴は好きだな、とか。

鈴木いずみは昭和の原色感がどぎつくて読むのに体力いるな、とか。

 

はて、ここで素朴な疑問。

 

なぜ、現代作家は ”さん付け” なのに、在りし日の文豪は "呼び捨て” なのか。

”太宰” とか "川端” なんちゃってさ。

 

どうでもいいです。

そういうの、あるよねってハナシでした。

死んでる人に "さん付け” すると生きてるみたいだよね、とか馬鹿なこと言ってすみませんでした。

つまり、どうでもいいです。

 

 

どうでもいいんですけど、でも例えば読書が好きとか、ありがちだけどなかなか出会うでもないそんな偶然の一致みたいなことが、お客さんとたまたまあったりなんかするとそりゃあもう嬉しいものなんですよ。

 

そういうことの方が主要な事態になってくると、”髪を切る” なんて目的はたちまちのうちにぼやけるんですよ。

初歩的な、まったく初歩的なただの理由になりさがってしまうんですよ。

 

それが悲しい、っていうんじゃないんです。

むしろ逆。

 

そういうことが理由になってくることがこれから先、さらに重要になってくるんだと個人的には勝手に考えていて、もっと言うなら、そんなことこそが目的になるくらいの商売にならないと意味ない、なんてことさえ思うワケで。

 

本屋さんやりたい。

とかそういうこと言ってんじゃないですよ、読解力ヤバめのあなたのために一応言っとく。なんて。

 

例えば。っつことですよ。

音楽でも釣りでもファッションでも盆栽でもなんでもいいんです。

あたしは音楽と読書と映画が好きなので、つまりそういうこと。

 

”髪切ろう” と思った時に、何を思いつくのか。

やっぱなんとかぺっぱーでしょ、なんてそこのあなた。

いってらっしゃいませさようならおとくなくーぽんとなんとなくしゃれっぽいじゃんかかっこよさげじゃんかはやってるっぽいじゃんか、みたいなあんしんむさぼってくださいそこがだめならあっちあっちがだめならそっちそっちもだめならくちこみでげすいことでもはいてうさはだしだよとことんしんせつせいしんてきあふたーさえかんぺきなんとかぺっぱー、っておまえらあほか。うそでごめんなさい。

 

おトクでも素敵でも流行ってるでもない商売のなかにあるもの。

それが音楽で読書で映画であることにこそ意味があると個人的には考えていて、つまるところあたしんちに出かけてくれるお客さんっていうのは多分、髪の毛切りなら例えばそんなおハナシをつらつらと交わして、なんならちょっとくだらないハナシとか下世話なハナシなんかさえしちゃったりなんかして、でも要するにそういう肩肘張らない居心地だとか気安さとか、もちろんあたしはそれにしても ”髪を切る” っていう元来の目的に対してお約束を果たすことに手加減はしないんですけれども、おしゃべりも手加減ナシなんでたまに「よくしゃべるね」なんてゴミ見るような気配でいわれてしまうこともあるんですけど、しょうがないじゃんそれが正体ですもん、なんて全然堪えてないとか。うそです。超傷付きますってば。”あ、この人もう来ねえな” って案外さらりと忘れたりはしますけれども。

 

 

 

時代は、もしかしたら昔返りしてるのかも、なんて近頃思わないでもないんです。

”安さ” とか ”便利” とか ”話題性” とか、そういうのも全部需要なんだろうしだからこその供給ではあるんでしょうけれども、なんだろ? そういうのばっかでもない、みたいなことがそろそろ世の中の価値観の中に無意識のうちに芽生えはじめる、っていうか思い出しはじめるみたいなつまり、結果ばかりが理由になるばかりでもないことを懐かしくさらに新しく求め始めるような、そういう具体性のある需要みたいなものを、個人的には売り手側の人間としていち早く察知するべきだ、みたいなことを常から思ってんです。

所詮気まぐれに、ですけど。

 

商売のネタそのものばかりをウリにする、理由になる時代は、もうとっくに終わってる気がするんです。

 

お得なクーポンも結構ですし、おしゃれな装飾、よりどり豊かなメニューも大変素敵なんですけど、でも、髪なんて元の髪質以上にはならないんだし、それ以上っぽく見せたいなら必ずダメージと引き換えになるしかないことを知っているんだし、そもそもダメージとわかりながらトリートメント云々吐き散らすなんて胡散臭いばっかとしか思えないあたしんちはやっぱ最低限のことしかやる気ないです。

髪が傷んだ、とか恨み節聞くくらいなら、やらない。

最低限のこと、許容範囲内でのことくらいしか出来ないです。

 

だからこそ、あほみたいなおしゃべりが大事、なんて言ってる意味わかりますか?

そんなこと本気で思ってるらしいあたしはあほですか?