悉く出遅れまくるどなたが

東御市R18 アラズヤ商店(仮)内左側で佇むヘアサロン suffcuts のブログ

問題はつまり

口々に飽き飽きしていて、例えば "猛暑でスイカが高騰" とか、それをいちいち "報道" としたがる、あるいは通用してしまう興味って、一体なんだ。

 

高いと思ったなら、例え狂おしく食いたくとも買わない、いや、狂おしいなら狂おしくあるべく買うのか、まあ、それはお財布との算段以上の判断はあり得ないことなのだからつまりどうでもいいんだけど、何が言いたいかって、情報として一先ずどうでもいい、みたいなことで、にもかかわらずチャンネルというものはそれ以外の選択肢というものを案外選択しづらい何かがあって、結局その "報道" を最後まで観てしまった、それどころか前日にはスーパーでスイカを購入してちゃっかり "夏だ" のようなことをつい口走ってしまっていた自分を知っているのだから、こんな無念さってつまりなんだ。

 

 

暑すぎて、ネコが死にそうな勢いでグロッキーです。

暑かろうと、おとといお風呂に入れてからずっと。

心配すぎて、お昼に一旦帰宅してしまいそうな自分の不安定さにこそ飽き飽きしている。

暑すぎる。

 

その感じ

 

あたしが物心ついた頃、ウチのテレビはモノクロテレビでした。

確か赤っぽいオレンジ色だった、ガチャガチャとダイヤルを回す式のチャンネルと、よくわからない電波を調整する式のダイヤルが付いていたタイプで、さすがにアタマにアンテナとかは載ってなかった記憶でいます。

じきにカラーのテレビになって、でもたまに映りが悪くなることくらいは日常で、映らないときは "叩くと直る" というやつを時代性も含めてリアルでやってました。

 

そういう世代であることはもはや、"死ねばいいのに" っていうほとんどストレスみたいな後悔っていうそれです。

嘘です母さん泣かないで。

その次に我が家にやってきた少し大きめの "家具調テレビ" は、サザエさんちの茶の間にあるものと同じやつで、ただそれだけを理由に何だか悪くない気にさせられたものでした。

初リモコンでした。

 

 

家に帰ると、出迎えてくれたネコのコマのアタマをとりあえず撫でた次のタイミングくらいでテレビを点けます。

一先ず、とは言えないタイミングです。

が、その程度の世代である、ということです。

 

ウチのムスメは今年19なので、世代的にはすでに "最新式" とは言い難いバージョンではありますが、その程度とはいえまあまあ感じ悪い年頃ではある印象ではいるので、わりと新しめでもあるはずとは親なりにも思わないでもないつもりではいるのです。

 

そんなウチのムスメ、テレビをほぼ観ません。

点けっぱなしで居眠りはしても、ほぼ観ません。

BGM? アホか。です。

 

 

通勤の車の中で、テレビ観てるといつか確実に事故ると思うんです。

しかもかなりマヌケ度高めな感じで。

ですから、画面をナビに切り替えてもしぶとく流れてくる音声のみに耳を傾けてみたりするんですけど、まあ、確かに。

 

 

 

テレビ、つまんねえな。

 

 

 

と。

近頃ものすごく驚くのは、テレビから流れてくる音とか映像とか、つまりテレビっていうメディアからもたらされる情報? らしきそのほとんどが、"知ってるそれ" 感がハンパないっていうその感覚ばかりの濃さ、みたいなことで。

 

モノクロテレビ世代のこんなおっさんの情報収集能力程度をもってして、でもですよ。

ムスメなんか、きっともう悲惨なほどの興味のなさなんだろな、と。

テレビっていうこの "もはや後発メディア" 感、どうなんですか。

 

 

西日本が、大変なことになってます。

いつか見たあの全国民の傷のような景色と、ほとんど変わらないじゃないですか。

テレビは毎朝毎晩、そればっかです。

そればっかだっていいじゃないですか。

いいんだけど、いいんですけど、何なんだろか、あの "どこかズレてる感"

 

話題のヒト殺しの人となりとその半生を掘り返すあの感じと、土砂流の発生システムをこれ見よがしに説明すること、どっちも "ニュース" とか "報道" とか。

"ニュース" ですよ "ニュース"

早速ゲシュタルト崩壊で何だかむしろ新しい言葉にすら見えてきた。

 

胸下映して被害者家族に、インタビュー。

仕事ってきびしい。

きびしいだけなら、楽なことだ。

言ってる先から意味がわからないから、所詮そんなものの意味なんてわからない。

 

ただ純粋に、観るほど嫌いになるテレビ、画期的だ。

スマホにはない機能だ。先進。

 

騙されたらダメだ、って脊髄反射で思わずにいられないあたしはほとんど狂ってるんですかね、追随出来ていないんですかね。

 

"人材" を謳って所詮搾取するばかりのシステムが東京の一等地に自社ビルを構えて、風変わりで "新しい" らしいオフィスだの何だのをこしらえて、"今どき" とか。

それを真に受けたがる視聴者こそがまんまと思い付きたがるらしい "今どき感" だとか。

 

車内にバースペースがあって、定時以降は社員さん向けコミュニケーションという福利厚生飲み放題。

 

バランスボールチェアで仕事してる姿なんて、ムスメに見られたくないなあなんて発想は、チャンネルガチャガチャ世代特有の自意識過剰ですか。

 

車内のバー飲み放がジュリアナお立ち台的素っ頓狂遺産に化けかねない、なんて例えからそもそもガチャガチャな感じですか。

 

小さな窓にまみれたマッチ箱みたいな家がキライです。

ガラス張りの天空を目指すなら、南向きガラリ戸の縁側でお茶を飲みたい。藤棚があれば尚最高とか。

 

 

みんな気付き始めているというのに、何だかなあ。テレビ。

 

 

サッカーと、大雨と、麻原某。

あと何だっけ。

 

天気予報。

 

結果で十分。

知るほど濁ることばかり。

 

 

 

自分は一体何が知りたかったんだっけ。

そう思って、テレビに何らかの期待を委ねたい人が、今どきどれほどいるものか。

 

 

だからネットとか、事態はいよいよ深刻だ。

そう思いませんか?

そんなアンテナで眺めるネットはいよいよ体のいい催眠術然として、"テレビつまらん" って鼻高いばかりの依存を深めるばかり、 "ダメ、絶対" を逆さまに眺めるばかり。

 

 

"テレビ、つまらん"

 

 

つまりそれって、自分自身のことなんじゃないのか。

ネットで確かめてみようか。

所詮信じられたものかよそんなもん。

 

 

情報化社会ってなんだ。

なんて古臭い言葉だ。

 

自由みたいな顔を格安スマホでお手軽に、閉じこもるだけの便利が憧れるのは "後発メディアのエサ" 程度のものだなんて、てんでお手軽なことだ。

舐められたものだ。

 

 

テレビと、テレビを諦めること。

まだ開かれてマシであるモノは、どっちなんだろか。

 

 

 

眺めているのは自分だ、ということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怠けてるんじゃないです。むしろ忙しいからです。

 

 

おお、日本がポーランドに負けてからずっと、更新が途絶えてる。

 

 

だからってそれは、日本サッカーのせいなんかでは全然ないです。

そんな "熱心さ” なんて、気味悪いじゃないですか。

 

スクランブルハイタッチ? 安いじゃないですか。

 

 

 

更新が途絶えがちであることは、あたしらしく "飽きてきたから” とか ”くじけてきたから” はたまた ”めんどくせえ” なんて、そんな自分ばかりの長閑さであったのならそれは、”平和” ってものです。

 

 

”一瞬、夢を見させてもらいました”

 

 

なんて言い出したのは、一体誰だ。

人様の何かに照らして ”夢” なんてものを見通せるほど、思いつけるほど、あたしはまだまだ寛容になんてなれそうにないんです。

 

情けないです。

残念ながら、未だにあたしは自分の願望にまみれるばかりの醜さでいるままです。

 

 

 

”夢” なんて言葉を選びおおせるほどにも、"現実" に飽き足らないらしいです。

 

 

 

何をしたらいいのか、さっぱりわからない。

でも、”やらない” なんて選択肢を持ったことがない所詮その程度の "自分サイズ” くらいちゃんと慰めてやらなければ、と。

 

 

 

 

 

お店をハンブンコにぶった切って、サロンスペースの居心地は一先ず終結を見た気分でいます。

つまり、何だか満足。

そのくらいの "個人的サイコー”

 

そう思ってしまったら、何だか興味が薄れてしまった。

 

 

これは、重大な危機です。

単純馬鹿という性分さながらの危機だと、わざわざ自覚することを意識しています。

 

 

五年間導いてくれたカンバンを白く塗りつぶしてしまった瞬間に、食い縛っていたような何かが、途切れてしまった。

髪を切ることが好きなのに、髪を切るだけで生きていきたいなんてちっとも思えなくなってしまった。

 

"髪を切る場所" とばかり思われることが、ほとほとオモシロくなくなってしまった。

 

これまでずっと努めてきたはずの "目的” のようなものを、すっかり信用できなくなってしまった。

つまり、

 

あたしはこの場所にいて、所詮その程度の "モノ” でしかないんだな。

 

という実感。

 

 

 

ただちゃんと仕事をしたいだけで、それ以上でも以下でもなく、あたしはただ思うように髪を切りたくて、切れないことがもどかしくて、でもお客さんの要求は限りなく願望に近くて、でもあたしは実際にはそうではない一人ひとりの髪を見て悩んで、噓くさい見栄くさい情報に踊らされて苛まれて、所詮ダメかとハサミを恨んだりアイデアのなさを呪ったり、そうして二桁の年月を過ごして思ったことは、

 

鈍感に過ぎる

 

というほとんど怒りにも似た苛立ちのようなものばかりでつまり、あたしはこの仕事に携わりながら、何よりお客さんに生かされながら、この仕事に求められがちらしい何かが所詮、好きじゃなかったんです。

 

 

あなたの髪は、あなたの髪でしかない。

あなたの髪に出来る程度にしかあなたはなれないし、なれない自分は絶対にあるしなれないのになれるなんて言えてしまう商売なんてクソでしかないのだし、なりたいけどなれない悲しさこそがきっと正真正銘のあなたなんだと思うのだし、なりたいあなたにしてあげたいけれどなれないあなたもたしかにいるよと伝えることこそがあたしは仕事だと思っているのだしそうしてあなたにあなた自身を受け入れてあげてほしいのだしあたしはそんなお手伝いしか所詮できないのだしつまり、

 

あたしんちは所詮、その程度にしか髪なんて切れない。

”夢” とか安いことばかり無邪気に吐くなイラつく。

 

 

 

これはきっと、あたし自身のほとんど病的といってもいいパラノイアです。

それでいいと思っています。

 

 

これから、髪の世界はさらに科学的に解明されて進歩していくと思います。

遅れを取らないように、喰らいついていきたいと思っています。

時代が進んで、分野は快適になる。

そうして人々こそ満たされて、快適になる。

快適になっても、忘れないのが ”人” なんだとあたしは勝手に思っていて、快適さというものは所詮足りない、人々に "満たされる” なんていう果てはないんだと、勝手に思っています。

 

与えられるばかり、欲しがるばかりで満たされる果てなんてない。

 

 

例えばあたしたちのような分野は、そんな欲求を満たすべき分野の究極の一部に属する職業だと、あたしなんかは思っているんです。

思いながら、その目的を、その求められ方を、いよいよ信じられなくなってきてしまった。

 

”欲しがる” なんて衝動は、所詮深刻だけど大して真剣でもないことがほとんどで、生まれつきの酷いクセ毛に悩む女の子は何とかしてあげたいと本当に思うけれど、その人らしさでさえあるかもしれないその人の一部を情報とかそんな価値観に照らして容易く嫌うような欲求とか憧れなんて、もうほとんどめんどうくさいだけで、酷い話なんですけど、あたしはただの "髪” という要素について鬱陶しくもその人という ”人” や "人生” っていう成長を思いたいのだし望みたいのだし、どうしてあなたはあなたなのか、それはお金を払って解決できるようなこととはまったく別の目的に存在しているはずの何かで、あたしは所詮そんな話ばかりをしたいのだしそうして生きたいのだし、その程度のことを否定して思いつきたがるばかりの "コンプレックス” とか、そんなもの程度なんてさっさと闘って諦めて、もっと本当の自分のことを思って、磨いて、受け入れて、好きになったらいいのにって、生物として地球上でほぼ最低サイアクの位置で生息しているはずのあたしなんかからみたらお客さんなんて一人残らず悠々と満たされて安定して充実して今に世界に存在しているというのにどうして、そんなにも与えられることばかりを期待したがるのか。

 

 

あたしたちの仕事なんて、あなたの正体のためのお手伝いさんか何かでしかない。

ウソをついてまで向き合いたがるような趣味なんて、あたしにはないです。

 

 

 

 

馬鹿げた期待値に少し疲れたし、興味のなさにも疲れた。

バランスが悪くて、何かがおかしい。

そんな風にしか思えない自分に一番疲れた。

 

 

 

連絡がつかないし、当日の問い合わせは全て断るし、営業時間も決まっていない。

不便だと、わがままだと近頃の嫌われ方はいよいよ尋常ではない気配でいるんですけど、仕方ないです。

あたしは、やっぱりそういう仕事の仕方が好きではないのだから仕方がない。

そんなモノを受け入れてみたところで気持ちよくお仕事なんて所詮できる筈もないのだし、それはあたしはもちろんのこと、何よりお客さんのためにならないから、やっぱり ”やらない” っていう選択肢しかあたしにはありえない。

 

 

もっと不便に、面倒に、わがままに、独特に、そんな程度のことくらい憚らずひけらかしてその正体を、そうして手に入れられる程度のことにこそ、あたしは用があるのだし必要としていると思うのだし、だから ”髪を切る” なんて言い切ってしまえる "目的” らしきものこそがほとんど邪魔でしかなくなってしまった。

 

あたしの思う "目的” は多分、そんな風ではない気がするんです。

 

 

 

 

 

 

”ナニモノでもない” ところに立ちたくてはじめました。

 

 

wireless wired workshop

 

 

本当にはじめたばかりなので、空っぽです。

何をやるのかもわからないので ”空っぽのまま危機” も充分考えられるんですけど、多分意地でも記事埋めます。ダサいので。

 

 

所詮サロンのブログページで宗教染みた観念とか吐いても気味悪がられるだけなんだし、正直ようやく近頃、自分の頓珍漢さに自覚が沸いてきたので謝罪します。

 

サービスブログとして、ここの文脈はふさわしくなかったです。多分。

これからはもっと自重に努めた、商売からはみ出ない冷静なブログに仕立てることを意識していきたいです。

 

 

リンク先でも冷静に、平和的に、でもちゃんと尖った文脈を思いついて、思いついたままを効果的に実践できる場所にしていきたいと思ってます。

 

気が向いたら遊びに来て下さい。

 

 

 

 

 

 

 

有頂天スクランブルが要求する悲劇

 

 

”危険タックル” を寄って集って糾弾したのは、ただの建前ってことなんですかね。

そういうことにでもしておかなければ ”結果がすべて” なんて、どの口が言ってんだ? ってことになってしまうじゃないですか?

 

 

でかい声ばかりにまんまと同調しながら尚且つお節介な自己主張こそまんまとまぶして、お利口ぶる感じとかがまあ、とにかくキライです。

”日本ディスってるやつら、おまえら何なの?” 

とか、本当にアホかと思う。

 

 

 

件の有り様を、真っ先にディスって憚らなかったの、誰ですか。

 

そんなことは知りませんが、試合終了を待たずチャンネルを変えたことくらい、あたしは全然平気で告白しておきますよ、あの試合は正真正銘くだらなくなってしまった。

 

”危険タックル” と、どこがどう違うっていうんですか?

あたしには、全然わかりません。

サムライ? 全然わかりません。

 

長谷部くんでも昌子くんでも誰でもいいから、なんでもっと早くボランチを任せて柴崎くんをもっと楽にしてあげなかったのか、あと少しでも前線に送り込んであげなかったのか、なんてそんな都合みたいなことはシロウトのあたしには全然わからないんですけど、どう見たってずっとそう思ってました。

何の為に大迫くんを入れたの。

柴崎くんと大迫くんは一瞬のアイデアをかなりのレベルで共有出来る関係。

大迫くんは柴崎くんを絶対的に信頼してスペースに駆け出せるし、柴崎くんこそそのタイミングを信じて決して見逃さない。

日本最強のホットライン。

そんなことは普段サッカーなんて全然興味のないあたしですら、初戦のコロンビア戦を観ただけですぐにわかった。

レベル問題だと、すぐにわかった。

 

終盤に投入されたキャプテン長谷部くんに課せられたミッションが ”ペースダウン” だなんて、サッカーのどんな未来を見つめた選択だったのか。

そんなものを ”勝負” とか ”戦術” とかって、次の世代のプレイヤーたちに刷り込むつもりなのか。

あまりにも近視眼に過ぎるんじゃないのか。

 

勝ち取ったらしい彼らこそが ”見苦しかったかも” ”これが勝負の世界なので” なんて仏頂面で言いよどまなければならない時点で、その本音は明らかじゃないのか。

本当に気の毒に思えて仕方がない。

 

 

 

何の為に、戦っているのか。

 

 

干した選手にラフプレイを強要する、それを是と認識させるほどに思考を支配する、衰弱させる、そんなものが ”勝負” なのか。

”スポーツ" なのか。

 

 

何の為に。

 

 

勝つ為に?

何に勝つ為に?

何で勝たなければ?

 

 

"結果がすべて” なんて、誰が言ったんだろう。

もうそんな時代はとっくに終わっているというのに。

"危険タックル” を、現象のように糾弾して誇ったのは誰だ。

その根本にあるらしきものについて、それぞれがちゃんと想像を働かせたのか。

悪しきを吊るし上げることだけが、良識なのか、理解なのか、正義なのか、知性なのか、総体なのか。

 

 

目的を見失っていること、その悪し様についてこそ、なぜ糾弾しない。

 

 

"結果がすべて” 

そんな許しは単なるエゴじゃないのか。

”結果"がすべてを司る、そんなエゴの塊のような要求を押し付けられて、信じ込まされて、誰が命を落とした。

 

まつりさんが命を落としたその理由を、その事情を、だれがバランスよく説明し得るのか。

全然無関係なんかじゃない、ってあたしは思ってます。

 

 

この思考は、パラノイアなんかじゃない。

満たされて、すっかり馬鹿げた日本から滲む、漏れ出す ”膿”

すべてが全て、無関係なんかじゃないって自分こそ含めて思ってます。

 

 

目的は何だ。

その理由は。

 

 

"結果がすべて” 

その為に、世界規模での侮辱さえ受け入れることを是とする。

賢明とする。

懸命に戦った、その為に半生を費やしてきた選手たちに、一つの戦いを終えた、しかも依然戦いの只中にある代表選手たちに、どうしてあんな顔つきまで要求しなければ済まないのか。

 

彼らが何よりも気の毒。

日付の変わった深夜に、チャンネルを変えたあたしは彼らを誰よりも早々に侮辱したのかもしれないのだれど、そんな勝ちを、”価値” こそを彼らに望みたくなかっただけです。

目撃したくなかった、要求したくなかっただけです。

それはあたしの都合ばかりの、彼らへのせめてもの "敬意” のつもりです。

勝つなら、前に進んで勝って欲しかっただけです。

 

最前線の舞台に、どれほど熾烈なオファーが存在するのかなんてこと、あたしら程度が知り得るはずもないんです。

だからこそ、"結果がすべて” なんてそんな古臭い見栄くさいボロ臭いだけの時代錯誤みたいな ”道理” なんか知るか、と声を大にして言いたい。

 

よその国が、ましてや敵対するに近い認識のどこかの国が同じ ”戦術” を取っても、”それがサッカーだ" って、この世は "でかい声” としてそれに同調して誇りたがるのか。

ひけらかしたがるのか。

理解者ぶりたがるのか。

 

 

"どうあれともかく、戦った選手たちに労いを” って口幅ったいどこかのアホが。

 

安いクチ叩きやがってぺらぺらの極薄脳が聖人気取りかよアホか。

誰が戦ってると思ってる。

誰が彼らを責められたものか。

 

 

苦汁を舐めるような判断こそを彼らに要求したのは、誰だ。

期待したいことばかりを叫んだのは、誰だ。

そうして追い込んで憚らずにいるのは誰だ。

 

 

お祭り騒ぎのスクランブル馬鹿のためにさえ、彼らは世界中から卑怯者呼ばわりされることすら拒否できない。

 

"スポーツ” って何だ。

 

 

あたしはとある場所で、ワールドカップについて "たかり屋の戦争。しかも全然怪我しないやつな” って清々ディスり倒して顰蹙を買ってるんですけど、それって文脈を理解できない馬鹿ばっかの反応だと思ってるので全然気にしてないです。

 

 

こんなんじゃ、あの懸命に戦っている選手たちは馬鹿みたいな ”たかり屋” の代理戦争に駆り出されたただの "コマ”、ただの "被害者" じゃないか。

 

 

恥ずかしいけどアジアなんて所詮 "文化後進国

”民族性 サル”

あっちの国はみっともないラフプレイも厭わない ”番狂わせ” に狂喜乱舞。

かたやこっちは卑怯な "要求” に責任転嫁の理解面。

 

 

スポーツって、何だ。

彼らは一体何の為に、戦ってるんだ。

 

 

”賛否両論” って今朝のネットニュース。

アホか、論点ズラすなポンコツ

 

 

 

”サムライ” は、何に勝ったんですか。

日本は何を見て、何を喜んでいるんですか。

賛否を戦わせているんですか。

 

 

 

 

彼らに、”彼らの全力の戦い” が叶いますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカー祭り馬鹿騒ぎに紛れて "奴隷制度” 強行採決みたいですよ。

全然無関係なんかじゃないじゃないですか、やっぱり。

 

大丈夫なのかなニッポン人。

 

止めどない曖昧な眠気はお別れの合図

 

 

誰に期待されるでもない、要求されるでもない、まして何も知りたいわけでもない、そういうことをただ個人として思いついて、甚だしくはそれを "欲求" などと呼びつけて焚きつけて、それは散々なことで度重なることで、要するに何のことはないです、それは "今日" という今現在の "所在地"ということで。

 

"何もしない" ということは、"存在しないことと変わらない" という辛辣な認識というか分類、あるいは凄惨なる忖度というか残忍なる叱咤、などといったライフスタイルにまつわるエディトリアルとでも申しましょうか、そんな第三者視点のようなものに "砕かれがちな何か" というようなものこそを、つまり "人間らしさ" なんてモノに含めて何が悪い。

 

 

砕かれますか。

 

砕かれて尚、カケラを掻き集めますか。

 

 

離散集合を繰り返すして手にする、学び得ることを例えば単に "しぶとさ" と名付けるのか、"懲りない" と見くびるのか、"愚か" と遠く見下して突き落とすのか。

 

 

基準は何ですか。

いやいや、しかしながら。

 

それを知ったところで、間もなくそんなモノこそが真っ先に、"これからのゴミクズ" とか "置き去りの鈍感" といった旧人類廃棄物的な "何か" に成り下がる予感こそ避けられまい、といった考えしか持ちようもないのだから仕方ない。

 

うるさいんだよアホか

 

というごく個人的ココロの態度こそうるさくてかなわないのだけれど仕方ない。

 

耐え忍ぼうが、かなわない。

 

 

何もしなければ、軽蔑するのだし、

何かをすれば、侮蔑を投げるのだし、

軽蔑の裏には安堵、

侮蔑の裏には恐れ、つまりいずれにしろその正体は "自分以外の排除" といった酷く臆病でケチ臭い、今現在手にしているらしきモノへの執着と懇願で、"認めたくない" という今現在の信頼への懇願そのもの、それが生む安易な冷静こそをあたしは "ケチ臭い" と、"つまんない" と叱咤激励して止まないものなのだけれどそんなことこそ仕方ない。

 

手にしているものは、疑えない。

 

それは "実績" に対する侮辱のように思えてしまうのだろうから仕方ない。

何より今更、というその感情こそわからないでもないのだから仕方ない。

この感情の、感性の面倒臭がりどもが。

 

見下して手に入れる安堵をむさぼれ。

 

 

そこにはすでに、何もない。

"依存" とは、そういうものだと思いませんか?

 

カンジワルイより、つまんないほうが詰みます

 

 

”来るたびに、お店の中のどこかが変わってる”

って、よく言われるんですけど、

 

さすがにそれは極端ってモノです。

 

 

とは言うものの、現在の店舗に移転してからというもの、一年と同じ状態で過ごしたことは確かになく、とは言うものの、所詮賃貸物件ですから手を加えられる範囲は決まり切ってもいるもので、とは言うものの、壁塗ったり、ブラインド作ったり、床に石敷いたり、ってそんなことばかりでも半年スパンでアレコレと印象は変えられるもので、”印象が変わる” ということは何より、その場所に対する ”集中力” あるいはそんな大層なことでなくても単純に ”興味” のようなものを呼び戻してくれる、そういうオプションのような効果こそが嬉しくて、ただひたすらにコチョコチョとリノベーションを重ねている、といった感じではいるのです。

 

”商売処” っていうのは、店舗環境を現状維持できる期限がおよそ二年ほど、らしいんですね。

”現状維持できる” っていうと語弊がありますかね、”現状維持が許される” のほうが的確なのかもしれない、そんな尺度としてのおハナシでした。

昔ながらの駄菓子屋さんとかは暗黙の対象免除、みたいなハナシでもあろうかと。

 

つまり、”たまにはリニューアルして、お客さんに飽きられないように心掛けなよね” ってことなんでしょうけれども。

 

積極的な商売を仕掛ける新しいお店さんでも、音に聞こえる老舗でも、”ずっとそのまま” みたいなことは余程ズボラでもないかぎりほぼほぼ有り得ないはずで、何しろ近頃はいかなる業種においても何かにつけて ”おしゃれ” だの ”インスタ映え” だのって、本来の目的抜きで ”一先ず雰囲気ちょうだい” みたいな馬鹿っぽさをデフォで要求される感じとかすごいじゃないですか?

 

他人の手間や努力に寄りかかって ”インスタ映え” とか、そういう欲求の低さって本当にアホかと思う。

それ食い物にしたがる半年ばっかの仕掛け屋商売もそれにまんまと群がる客どもも一纏めにして ”馬鹿ばっか” ってまじで思うんですよ。

 

おまえら、所詮何欲しがってんのかって、そんなことからまったくポンコツだろ

 

なんてさ。

”消費者っていう馬鹿さ加減” って、あたしなんかは普通に呼んでるんですけど、あたしらみたいな稼業なんかはつとにその手の要素をひけらかしてみせびらかして要求されて奢り昂ぶってみた挙句、消費者目線さえ道連れにしてまんまと当たり前に吹き込んで馬鹿丸出しに染め上げて、そんなこんなをいっしょくたにして何て言い腐ったかっていうと、

 

”社会的地位の向上”

 

ってさ?

転がし屋のパトロンとゲスい仕掛け屋に散々利用されてあっという間にハジケた ”カリスマ” バブル。

だからって、そんな印象ばかりは案外根強く染み付いたものなんだろか、未だに ”ブランディング” っていう手法を明け透けにも賢く使いこなす限られた一部の商売上手が辛うじて ”かつての” 栄華を現存させるのみ、という所詮われら ”痰ツボ商売”(自虐じゃなくて、事実ですから) って本性が日毎身に沁みてふつふつとカナシミこそ滲んで、ってつまり、

 

どっちもどっちじゃんか。

 

ってことなんですけれども。

志しはわかるんです、もちろん。

その貢献度の高さこそ、です。

でも、その仕組みに滲んでしまう魂胆のようなものがあたしは所詮キライなんです。

世の中を上手く使ったんだろうが、人身掌握に長けているんだろうが、ビジネススキルに富んでいようが、所詮何かに依存しながら誇りたいようなやり方なんて要するにチャラくないですか? (エラそう)

 

インスタ映え” とか、ある意味事実を切り取ってるな、なんてなー。

そんなときばっかは褒めたりなんかしてなー。

 

なんて。

 

 

 

 

 

お客さま目線でリノベーションなんて、やったことないです。

すべては、”自分にとって居心地のいい場所” にしたいから。

ただ、それだけです。

しかも何なら、出来ることなら出来るだけ、自分の手で作りたい。

思いついたらすぐに自分でどうにか出来ちゃう、そういう余地のあるお店作りをあたしは端から目論んでいたんだし、だからこそやりたいように出来たのだし、ついにこの度はけっこうな無茶さえやらかしてしまったんですけれど結果的にはどうにかなってしまったのだし、何よりそんな満足感たら ”サスガ” としか言い様がないです。

まったく個人的なハナシですから。

 

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居心地、歴代最高

 

ついでに、ボロさこそサイコー。

 

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レイアウトが変わると、過ごし方まで変わってくるんですよ。

お店でこうしてブログを書くことは珍しくないんですけど、今まではお店の奥に引っ込んで(つまり事務所のようなとこ)書いていたんですけど、今日はお店をぶった切った半分、つまりサロンスペースじゃない(仮)スペースの方でもうじき捨ててしまうかもしれないソファーにふんぞり返るほどでもなく掛けながらポチポチと書いてます。

気分変わるー。

 

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ちなみにこのスペース、これから空っぽにして新たに作業台とか椅子とか置いて、サロンとは全然関係のないワークスペース(仮)のようなものにしようと思ってるんです。

それに付随してお店の設備とかも若干環境を改めなくてはならなそうだし、まだまだ時間もお金も掛かりそうなんですけど、そんなことも結局、目的の基本は一緒です。

 

”自分にとって、居心地のいい場所”

 

ってこと。そればっか。

何か、おかしなこと言ってると思いますか?

そう思ったあなたはもう考え方そのものが古いかもしれないから、本を読むとか、同じこと最低でも三重にはググるクセをつけるとか、意味なくチャリ漕ぐとか、ってアレ? それって全部自分のことだったスマヌすまぬ。

ってつまり、仲良くなれそうな気がしないじゃないですか、ってことー。

 

 

これからの例えば ”商売” って、そういう基準で全然イイと思ってるんです。

っていうか、そうあるべき、とさえ思ってるんですよオカシイこと言ってるのかなあ。

 

 

ここはあたしの ”居場所” で、そこに様々な人が訪ねて来てくれるんですよ。

そんな方たちをお迎えするあたし自身がまず、居心地が気に入らないでいてどうする。

たとえ独りよがりだろうが何だろうが、まず自分ばっかでも自慢も出来ないような場所程度に留まらせておいてどうする。

 

 

そういうの、”つまんない” っていうんですよ。

 

 

商売なんだから、儲けることが何よりも先。

そりゃあそうだ、お金がないと何も出来ないもの。

だからって、そんなことばかりを理由にして ”つまんない” を先延ばしに出来るなんて、もしそんなことがまかり通ってしまうのだとしたら、あたしらみたいのは一体何が楽しくて、嬉しくて、誇らしくて、たまらなくて、こんな大変なことばっかりだけど案外満更でもないことをいちいちやりたがるっていうんだろう。

 

 

たった十五坪が、あたしんちの全世界なんですよ。

なんてちっぽけな野望なんだろう。

だからって仕方ない、それこそがあたし自身っていう ”世界観” つまり実力に過ぎないのだから仕方ない。

 

この先も、お金も実力もない、展望も計画も、何より時間こそ一番ない、そんな現状から挑む ”たった十五坪からの野望” (あら、はあちゅうさんの ”半径5メートルの野望” みたいになってしまったのさ何て恐れ多い)

 

 

そんなことは、自分ばかりの居心地の良さを求めることと、その動機こそ何も変わらないんですよ、多分。

 

 

”お客さま目線” なんて、そんなものとは全然違うんです。

そんなもはや ”ゲスいばっかの魂胆” でどうにか出来るような時代なんて、もうとっくに終わっているんですよ。

 

 

 

あしたは早めにお店に来て、壁のトタンにペンキ塗る予定です。

すっごい雑な感じの仕上がりが理想です。

 

 

 

 

 

 

 

本業? そんなモンめんどうくさい

 

 

ブログタイトル、変えましたー。

 

 

ついでに、ブログアイコンとプロ画も。

PC表示の背景画像も変えたかったんですけど、画像のデータサイズのなんちゃらがよくわからなくてカルーくギブ。

 

 

わかりづらいんですよ何とかしてくださいまじで。

 

と、誰に言ったものなのかさえわからない。

コンピューターって、所詮よくわからん。

 

 

”コンピューター” (汗

 

 

何だソレ感すげえ。

 

”コンピューター” っていう単語のミーム0感っていうかむしろほぼマイナスでしかない語感、ヤバい。

 

 

 

 

こういうの、難しいですよねー。

”コンピューター” って、その前時代的な響きの気恥ずかしさ。

何だソレ感。

だからって、じゃあ他に何て言葉に置き換えたらいいんだろう?

 

 

 

……わかんないです。(← 考えるの拒否)

 

 

 

似たような恥ずかしさ、っていう”前時代感”に、例えば ”ネグリジェ” っていうのがあるんですよ(超個人的断言)

アレ、何ですか?

 

わかんないです。(← 即答。考えるまでもないそうです)

 

 

素朴なギモンなんですけど、アレって、

スムーズにお布団に潜れるんですか?

 

言ってみただけだから別に答えとかいいです。

単純に、そそられない、ってだけ白状しとくか、なんて。

 

 

ネグリジェ” イコール ”母ちゃんぐるぐるパーマ”

 

これ、”前時代感”

あたしなりの、ってことなんですけれども。

 

 

”時代” っていうのは、歴史的な視点とは別に ”価値の変換” っていう意味合いもあると思うんですよ。

カウボーイみたいなベルボトムは何度も時代繰り返してるじゃないですか?

でも有頂天のケラは、ケラリーノ・サンドロヴィッチとして今も変わらず色褪せないじゃないですか?

80’sのユーロビートが今、”ダサカッコいい”って、DA PUMP なんじゃないですか?

”DA” な感じって、あたしなんか個人的には当時から ”なんかなあ” なクチではいるんですけど、何しろ敬愛する大森靖子さんが ”カッケーっっ” って言ってるからクチ塞いでおく(塞いでない)

 

でも、何だかんだ言っても ”ネグリジェ” なんて着てる人、のび太くんの母ちゃんくらいしか見たことない。

そんなあたしの生涯履歴。

 

 

何ですか、アレ。

 

ヒラヒラ、フリフリな感じにはただただ無用に踏み外しただけの ”メス感” しか思いつけないタチのあたしといたしましては、”スポブラという清潔” という滅法卑怯とでも何とでも言いやがれ的 ”女子という存在愛” こそこれっぽっちも隠すつもりなんてないものですからつまり、

 

”時代だろうが何だろうが、

結果、貫いちゃう感じのモノはあるさ”

 

なんて、結局何が言いたいんだかさっぱり、みたいなことをただただ書き濁す、と。

 

 

 

 

 

 

”ブログタイトル、変えましたー”

 

という、何故。

 

 

 

それは ”時代” ってことなんですよ。

所詮。

 

 

 

ウチは、”ヘアーサロン” なんです。

 

 

”ヘアーサロン” は、 ”ヘアーサロン” であることを競い合う。

”〇〇が得意!”

”ネットでは買えないサロン専売品!”

”ダメージレス!”

 

 

所詮、”めんどうくせえ” って、ずっと思っていたんです。

白状します。

すみませんでした。

 

 

だってそんなこと宣伝したって、髪なんて人それぞれですもん、やってみなきゃわかんないですもん。

失敗しないように慎重にやるけど、失敗はイヤだけど上手くいかない程度のことはやっぱりあるんだし。

余計な宣伝して、鵜呑みにするばかりの馬鹿みたいな期待されるのとかも本当に面倒くさい。

髪は、その性質以上になんてならないんですし今のところ。

それ以上っぽく見せたいなら、それなりにダメージを負わなければならないのだし今のところ。

 

 

集客に努めなければならないのは商売なんだから仕方ないんだけど、所詮このお仕事は ”現場稼業” ですもん、お店でやってナンボじゃないですか?

お店の外でのハナシで何か期待したいとかさせたいとか、何かどこか面倒くさいじゃないですか、いずれ巻き起こるはずのアレコレとか。

 

 

でも、”時代はそうじゃない” らしいんです。

 

 

 

 

”時代だろうが何だろうが、

結果、貫いちゃう感じのモノはあるさ”

 

 

でっかい声出したところで、ハサミは思い通りに動いてくれるモンかよ。

って、ウチは所詮そういう面倒臭さこそ選ぶらしいんです。

だから、

 

”ブログタイトル、変えましたー” なんじゃないですか?

 

意味わかりますか?

 

 

 

そういう時代じゃんか、普通に。

 

って、思ってんです。

前からずっとですけど。(後付っつったやつスネぶって泣けばか)